『こころのバランスの歪みが散財に走らせる』
お馴染、プレジデントの記事の一部だ。
アクセルに変わった世間の目
お金に関する日本と欧米の倫理観の違い
を象徴する話があります。大学生に車を
買ってくれとねだられた場合、
決して買わないのが欧米の親、
買ってしまうのが日本人の親なのです。
欧米人は
『欲しいのならアルバイトせよ』といいますが、
日本の親は
『友達はみんな持ってる』といわれるとつい買ってしまう
ことが多いようです。
なぜでしょう。
欧米人の倫理はそれぞれの個人の中に存在します。
彼らは自己実現に向けて自由に生きていくという
個人主義を貫いています。しかし、その一方では
「神の許す範囲内で」というキリスト教に基づいた
価値観を持っています。
だから、かわいい自分の子供がなんと言ってこようとも
それは決して揺らぐことがないのです。
日本人の倫理観は、「世間」や、「自分と他人との関係」
の中に存在します。
だから「友達は持っている」と子供に言われると
つい買ってしまうのです。
昔はほとんどの人が貧乏で、その倫理観は身の丈に
合った生活をするブレーキ役を果たしていました。
(周りの人は持っていない、という意味で)
ところが、豊かになった今では、(周りはみんな持ってる)
となり、ブレーキどころかアクセルになってしまっているのです。
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そもそも大金持ちになって彼は本当に幸せ
だったのでしょうか?
金持ちになることと幸せになることは別の問題です。
現代人は、「勝ち組」「負け組」といった言葉に
惑わされて、価値観に歪みが生じているような
気がします。
物質的に豊かになったら、その分、心も豊かに
ならないと、人間はバランスが取れないものなのです。
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無限のつながりの中で生かされている自分
では、日本には物と心をバランスさせる
考え方はなかったのでしょうか?
実はそうではありません。
「もったいない」という考え方が日常生活の中に
しっかりと根付いていました。
私が小さい頃は、ご飯粒一つ残しても、
また、裏が白い紙を捨てても「もったいない」
と親にしかられたものです。
この「もったいない」という倫理観は仏教に深い
つながりがあります。
すべてのものは区別がなく繋がっているという考え
があります。
ご飯粒も神も自分も、対等どころかつながっている。
だから絶対に捨ててはいけない。
そして、そのようなつながりが無限に広がった
世間の中で自分は生かされているのだと
考えてきたのです。
みんなが貧しかった戦前や戦後は
そんなむずかしいことを言わなくても「もったいない」
という倫理観は説得力があったし、生活する中で
無理なく身についていきました。
しかし、戦後、高度経済成長を遂げ、急速に
豊かになってから、「もったいない」の倫理観は
一気に崩れ去ります。
そして身の丈にあった生活では満足できなくなります。
海外旅行へ出かけてはブランド品を買い漁る光景が
目立つようになっていきます。
そうした人は年齢や収入などに応じて
自分が世間からどう見られているかなど
気にしてはいません。
「友人知人が持っているから」と、ごく狭い範囲での
世間にしか目がいっていないのです。
お隣の中国では富裕層で問題が生じており、
孔子の名を出しても知らん顔をしているそうです。
長年受け継がれてきた儒教精神ですが、
豊かさとキリスト教由来の西洋文明を前に脆くも
崩れてしまったのです。
この混乱を放置しておくと大変です。
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まず、見つめなおすべきは「家族」だと考えています。
家族を天下国家に比べて「小国」だと捉える向きが
ありますが、それは家族の問題からにげようと
しているのではないでしょうか?
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面白いこと、楽しいこと、そして幸せは、多くの
人と分け合った方が増えるものです。
おいしいものでも一人で食べるより
大勢で食べた方が旨い。
共に何かをして幸せになること、何かを
感じることはものすごく意味があります。
仕事も同じです。
自分だけ得するビジネスは長続きしません。
結局、成功している人は、自分以外の人も
儲けさせたり、幸せにしたりしています。
幸せを突き詰めていけば行くほど、自分以外の
人や物と繋がっていくものです。
小さい幸福ほど自分がやったレベルにとどまりますが、
大きい幸福ほど、だんだんと広がります。
プレジデント 2006年7月3日号
引用
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なるほど。
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